元銀座のママと元小学校教師がPTA会長になって、ブラックPTAの改革に挑んでみた。

ブラックPTA改革に挑み、旧役員とママカーストと戦った元銀座のママと元小学校教師の記録です。

学校と個人情報

昨日アップした、個人情報の漏えいの件についての経過報告です。

 


今朝アポイントを取り、以下のような文書を作成し

教頭先生と協議して来ました。

 

f:id:BLACKPTA:20180509105057p:plain<学校側の回答>

  1. 事実である。
  2. 2018/5/8に見守り当番(交差点での誘導補助)を割り当てるために、PTAに提出し、その後回収した。
  3. 退会者(私を含む)の個人情報も提供された。
    今後の対応については後日文書で回答。
  4. 後日文書で回答。
  5. 後日文書で回答。

 

今回の件の大きなポイントは

「私は個人情報の提供に同意していない」という点です。

 

実は今年の2月に私は、学校に以下の文書を提出していました。

f:id:BLACKPTA:20180509111226p:plain

 

つまり、今年の2月の時点で、PTAへの情報提供を同意どころか

明確に拒否する文書を学校に送っていました。

 

それにも関わらず、個人情報が流出してしまった。

 

私は教頭先生にこんな質問をしました。

 

「PTAには教職員も含まれます。もしPTAが『慶弔費として先生にお祝いを出したいので、教職員の住所と家族構成を提出してください。』と言って来たら、教頭先生は情報を渡しますか?」

 

答えは「NO」でした。

私は教頭先生にこう伝えました。

 

「いま教頭先生が躊躇したことは、そのまま保護者も同じなんです。

教職員の個人情報と同じように、すべての保護者の個人情報も重要な財産なんです。」

 

 

回答を待って、今後の対応を決めたいと思います。

 

盗人猛々(たけだけ)しい

 

【窃盗(せっとう)】とは、窃かに盗むこと、あるいは単に盗むことをいう。

また、日本法においては、正しくは「他人の財物を窃取すること」をいう。

出典:ウィキペディア

 

 

現代社会において、個人情報は【財産】のひとつです。

しかし、残念ながら一部学校にはその意識がありません。

 

今日、学校通信にこのような文章が記載されていました。

f:id:BLACKPTA:20180508174441j:plain

 

私は目を疑いました。

学校が堂々と「個人情報を第三者に渡した」と宣言し

「承諾しないのであれば、連絡しろ」というのです。

 

常識的な話ですが、一度流出した情報は決して回収はできません。

つまり、学校は「情報を流出させた」うえで

承諾を取るという、本末転倒も甚だしい文章を配布したのです。

 

実は、つい先日こんな事件が近所でありました。

 

全児童の名簿紛失という、一般企業であれば解雇レベルの不祥事です。

 

実際、ジャパネットたかたでは、個人情報を流失した際に

49日間業務停止し、150億円の損失を被りました。

 

 

また、ベネッセでは訴訟にまで発展しています。


何度も言いますが「個人情報は【財産】」なのです。

 

もし、PTAで必要という理由で

学校に教職員の住所と家族構成の情報提供を求めても、絶対に渡さないでしょう。

 

それなのに、児童の情報はこんなに簡単に流出させる。

 

名簿が必要なら、PTAが作ればいいだけです。

学校が名簿をPTAに渡す必要性など1mmも無いのです。

 

「(情報の)取り扱いについては、細心の注意を払っていただく…」

 

私が見たPTAの情報管理は、鍵のない棚の中の

お菓子の空き缶にむき出しで入れられた名簿です。

それを、不特定多数の保護者が閲覧し

病歴や離婚歴、家族構成などをペラペラと言い散らかす

プライバシーのかけらもない光景です。

 

また、個人情報保護法が改訂され

この問題はイデオロギーではなく、法的な問題となりました。

 

明日、学校と協議する予定ですが

協議が決裂した場合は法廷闘争も辞さない考えです。

 

タイム イズ マネー

「時は金なり」という格言があります。

 

私自身は「経験こそ宝」と思っているので

ポジティブな経験だけでなく、ネガティブな経験も

今後の糧になると信じて生きてきました。

 

しかし、この1年。

ボスクレーマーが会長に就任したあとの

PTAを非会員として見てきましたが

「ボスクレーマー達の意見に、真摯に対応していた時間を返してくれ!」

といまは憤りしかありません。

blackpta.hatenablog.com

 

私たちが改革を掲げたとき

彼らは、散々手順を指示しました。

「アンケートを取れ!」

「説明会をしろ!」

「総会を開け!」

私たちはバカ正直にそれに従いました。

 

しかし、今年会長に就任したボスクレーマー

総会で可決した内容を無視し

総会も開かずに、団体Zに忖度して勝手に会則を変更し

予算を勝手に使い込み

一度チェックしたはずの会計にミスが発覚すると

他人の責任を押し付ける

 

と、文字通り「やりたい放題」して

たった1年で逃げて行きました。

 

結局、当初の予想通り

彼らの反対運動には何のビジョンもなく

ただ「反対」するという行為で団結することに

酔っていたのだとわかりました。

 

民主主義にこだわらず、無駄な意見など聞かなければ良かった。

そうしていれば、助かった人が沢山いたのに…

心のどこかで、そんな事を考えそうになりますが

すべては終わったことです。

 

 

この結末を選んだのは、PTA会員たち本人です。

私にできる事はあれ以上はありませんでした。

 

経験値としては、高い買い物でしたが

いつかこの経験が活かせる日を信じて

PTAの無い穏やかな世界で頑張って行きたいと思います。

PTA非会員となった1年

お久しぶりでございます。

ブログを開設して、早1年と3ヶ月が過ぎようとしています。

 

その間に新聞やネットに取り上げていただき

アクセス総数は「17万」を突破いたしました。

 

f:id:BLACKPTA:20180409180157p:plain

 

これも皆様のあたたかい応援のおかげです。

本当に有難うございます。

 

3-4月にかけて、PTA退会に関する検索が多かったので

去年からの1年間PTA非会員として過ごした

近況をお伝えしたいと思います。

 

まず、PTAを退会して困ったことは

ひとつもありませんでした。

 

負け惜しみでも何でもなく

まったく問題なく学校生活を送ることができました。

 

子供への影響

まず、一番恐れていた子供への影響ですが

校長に事前に内容証明を送っていたことや

最初の家庭訪問で担任の先生にも

事情を話していたこともあり

子供が学校で差別的な扱いを受ける事はありませんでした。

blackpta.hatenablog.com

 

友だち関係ですが

一部の子と遊ばなくなったのも事実です。

以前は一緒に遊んでいたのに、色々と理由を付けて「遊べない」と言われて

遊ばなくなった子が数名いたそうです。

 

ただ、これに関しては娘の性格もあるのですが

遊べないなら別の子と遊べばいいと

すぐに新しい友だちを作って遊んでいます。

 

親としても、PTA非会員であると理由で「遊んじゃダメ」という

家庭とは関わりたくないので、正直向こうから離れてくれて

助かったなと思っています。

 

保護者との関係性

他の保護者との関係性ですが

これも私の性格によるところが大きいのですが

自分が尊敬や信用していない人に

何を言われても気にならないタイプなので

陰口は散々言われていると思いますが

まったく困ったことはありません。

(※親切な振りして、わざわざ陰口を伝える友人もいないので(笑))

 

以前のように、色々な人に気を遣わなくても良くなったので

ある意味、PTAに加入した時より人間関係はラクになりました。

 

結論

私はPTAをやめて良かったと思っています。

もちろん、ホワイト化されたPTAになれば

いつでも復帰してお手伝いするつもりですが

残念ながら、娘が在学中に実現することは難しそうです。

 

もし今、あなたがPTAの運営方法に疑問を持っていて

PTAをやめたいのであれば、私はやめる事をおススメします。

しかし、自由は責任を伴います。

組織の中に隠れて、陰口を言っていた方が幸せな人がいるのも

また事実です。

 

自由と責任を取るか?黒い組織の一部となるか?

もしかしたら、PTAだけでなく

いまの社会全体に言えることなのかも知れません。

 

 

いま私にできること

私は、無宗教無党派

典型的なイマドキ人間です。

 

PTAに関わるまで、政治についても

そこまで関心はありませんでした。

 

しかし、自分がPTAに関わってみて

民主主義の脆(もろ)さと尊さを実感しました。

 

様々な立場の人の事を考えて

寝食を削って資料を準備し、民主的な方法で実行しても

誰かの小さな嘘で簡単に壊されてしまう。

 

そんな経験をして

一時期は民主主義を呪いたくなる時期もありました。

 

「反対意見など無視して、強行できたらどんなに楽だろう。」

 

周囲の意見など聞かず、自分の意見だけで実行できれば

面倒な会議も、膨大な資料が必要な説明会も

寒い体育館で、気の遠くなる数のパイプ椅子を並べ片付ける手間も

休みを潰して議決を集計する時間も

すべて不要となるのです。

 

実際、旧役員からは

「どうせ、みんなPTAに無関心なのだから、議決なんて取る必要ない。」

と言われました。

 

それでも、私たちは敢えて議決にこだわりました。

それは、民主主義を信じていたからです。

 

でも、悪質なデマによる扇動と

過半数近い棄権で

私たちの改革は終わりました。

 

結局、PTAの運営状況は今まで以上に悪化し

現在のPTAの状態は最悪だそうです。

 

しかし、私は彼らに同情はできません。

なぜなら彼らには選択のチャンスがあったからです。

 

すべての保護者に資料を配布し

すべての保護者に議決書を配布しました。

 

でも

彼らは配られた資料を読まずに、デマを信じました。

賛否を決めることなく、棄権しました。

 

だから、私は同情はしません。

 

いまの私が言えることは

自分の未来は自分でしか決められない

という事です。

 

選挙に行くのも、放棄するのも自由です。

でも、ご自分の未来は

自分が選択した行動の先にしか存在せず

その責任を自分が負う事だけは確かです。

 

「なんで選挙するの?なんで投票に行かないの?」

子どもに聞かれたら、アナタはどう答えますか?

逃げるが勝ちとPTA

 

私が大好きな番組のひとつに

があります。

 

そこで紹介された山本直樹氏の『レッド』という漫画に

私は強く興味を惹かれました。

 

 いわゆる「あさま山荘事件」を起こした若者たちが

内部リンチで仲間を殺害し、やがて崩壊していく様子が

ノンフィクションで描かれています。

 

そこに登場するのは、本当にごく普通の人達です。

彼らは政治や警察への不信感の元に集結。

最初は理想に燃え、合宿のような感覚で活動に没頭していきます。

しかし、集団が大きくなると組織を維持することを優先するようになり

やがて逃走者を制裁リンチで殺害。破滅へと突き進んでいきます。

 

私が読んでいて恐ろしくなったのは

組織からの脱退を希望する人を引き留めるために

彼らがとった行動が

現代の一般市民であるPTAの人達とほぼ同じだったからです。

 

脱退者を認めたら組織が成り立たない。

脱退者には罰を与える。

裏切り者は許さない。

 

 

これが集団心理の恐ろしさなのだと実感しました。

 

 

そして、この集団心理は人間だけでは無いようなのです。

 

 

メジナは海の中で仲良く群れて泳いでいます。せまい水槽に一緒に入れたら、1匹を仲間はずれにして攻撃し始めたのです。(中略)広い海の中ならこんなことはないのに、小さな世界に閉じこめると、なぜかいじめが始まるのです。同じ場所にすみ、同じエサを食べる、同じ種類同士です。

 

私もアクアリウムを初めて、同じ状況を経験しました。

 

生き物は自由のない空間にいると

生存本能として攻撃的になり、いじめやカーストなどの力関係が発生するのでは

ないかと私は考えています。

 

去年、私たちを執拗に攻撃した保護者も

きっと家や会社では、普通の人なのだと思います。

しかし、ある集団に入ると

個人より組織が優先され狂気が暴走するのかも知れません。

 

『レッド』でも

真面目で従順な人がリンチの加害者となり

やがて被害者となり殺害されていきます。

生き残ったのは、完全に組織を見限り逃げた人だけでした。

 

私はいまPTAを退会して本当に良かったと思っています。

組織を変える事はできませんでしたが

わたし一人でもできる地域貢献がたくさんあり

今は自分のペースで無理なく行えているので

PTA組織で感じていたようなストレスや軋轢は全くありません。

もちろん、子どもへの影響も学校でのトラブルも(今のところ)ありません。

 

逃げるが勝ちといいますが

狂気に飲み込まれる前に

大きな海に戻って、自分を見つめ直すのも

もうひとつのPTA改革なのかも知れません。

「ズルい」の正体

こんなニュースが昨日ネットを騒がせました。

ママ課は市のプロジェクトの名称で、30~40代の女性7人が参加した。メンバーが「結婚し子を育てると生活水準が下がる。独身者に負担をお願いできないか」と質問した』

 

これに独身者が猛反発し、ネットがプチ炎上しました。

 

私がPTA改革に取り組んでいたとき

幾度となく聞いたキーワード

「ズルい」

これがPTA改革の難しさを象徴する、強烈なパワーワードとなりました。


最近になって気が付いたのは

「ズルい」=「ツラい」

という事です。

 

私は幼少期から学校や地域で浮いた存在でした。

自分に自信が持てず、何度となく自殺を考えました。

街中で美しい人や幸せな人を見る度に惨めになり

「苦労もせずに美人に生まれて、家族にも恵まれてズルい」

と一日中、他人と自分の生い立ちを恨んでいました。

 

あるキッカケで一念発起し、ダイエットを始めたとき

「あぁ、スレンダーな人はこんなキツイ思いをずっとしているのか…」

と気が付き

「オシャレをするって、こんなに時間を使って情報を収集して

自分に似合う服を探さなければならないのか…」

と疲れ果て、

初めて「美人は生まれながらではない。努力だ。」と知りました。

 

幸せそうな家族にも「しがらみ」がある事を知りました。

 

そんな経験を繰り返していく内に

私の中の「ズルい」という感情は無くなっていきました。

 

なぜなら、幸せそうに見える人もみんな大変で

私はダイエットしてオシャレするより

美味しい料理を食べる方が好きだし

女としてチヤホヤされるより

仕事で「アリガトウ」と言われる方が

嬉しいと気が付いたからです。

 

ズルいというキーワードの裏には

「私は不幸だ。助けて」という感情があったのです。

 

しかし、自分の不幸をどれだけ声高に叫んでも

幸せはやってきません。

 

かほく市の件も、

本当に「結婚し子を育てると生活水準が下がる。」と思うのなら

仕事をするなり、離婚するなり、

収入を得る方法も、独身に戻る方法もあるのだから

それを実行すればいいのに、多くの人はそれをしません。

 

「ズルい」けど動けない人の象徴的な出来事がありました。

同じ職場にいる事務の女性が、会計の女性が産休に入るため

事務から会計業務に移動となりました。

業務や勤務時間は増えるのに、給与や待遇が変わらないと

ある呑み会で相談され

待遇改善を交渉する具体的な方法をアドバイスしました。

 

しかし、数日後結果を聞いてみると

「そこまでしなくてもいいので

会計の人が戻ってきたら、退社するかどうか考える」

という答えが返ってきました。

 

PTAの時もそうです。

PTAがツラいと言うので、具体策を提案しても

みんな自分からは動こうとしません。

 

「ズルい!」=「ツラい!助けて!」

と言いながらも、彼らはそこから動こうとはしないのです。

 

動けないのではありません。

目の前に救いの糸があっても、彼らは登ろうとすらしないのです。

だから、私は糸を紡ぐことを止めました。

 

「ズルい」と感情を打破する方法は

いまの自分を受け入れ、自分が不幸だと思うのなら

幸せになる具体的方法を実行する勇気と行動力を持つ事です。

 

どんなに痩せても、綺麗になっても、何億稼いでも

世界には必ずそれ以上の人がいます。

他人と比較しているうちは、一生幸せは感じられません。

隣の芝生は永遠に青く、どこまでも続いているのですから。